思い出
数年前、花屋で働いていたころ、
お店にながれていた、
Chicagoの”素直になれなくて”↓
急に、花火が上がり始めた。
私が働いていた生花店の周りには、
結婚式場が多数あり、
夜の式をあげるカップル恒例の打ち上げ花火があった。
そのとき、たまたまその音楽にマッチしていて感動し、
幸せをもらったのを思い出した。
その時、先輩がこんな話をしてくれた。
私がそのころ働いていた長岡市では、
1年に結構花火が上がる。
不思議に思っていたが、部屋から絶妙に観えていたので、
ラッキーと思っていた。
”長岡花火の由来知ってる?”と聞かれ、
地元でなっかた私は、
もちろん知らないと答えた。
”長岡花火はね、長岡空襲の復興を祈って上げられたのがきっかけなんよ”
と話してくれた。
長岡空襲があったのは知っている。でも、それが由来だとは思わなかった。
長岡空襲。
太平洋戦争終結を間近にした昭和20年8月1日、
長岡上空に126機の爆撃機B29が来襲し、
1時間40分もの間、焼夷弾の雨にさらされ、
長岡市街地のほとんどが焼け野原となり、
1,480人もの住人の命が失われた。現実。
つまり、あの美しい花火は弔い花火だったということ。
また、2006年の中越地震の弔いと復興を込めて、
「フェニックス」が毎年、平原綾香さんの"Jupiter"の曲に
あわせて上がっている。
平原 綾香 ”Jupiter”←ここポチっとね
先輩は、花火が上がるすぐそばに住んでいたらしく、
毎年、部屋でほろ酔い気分で観ていると言っていた。
クライマックスの「フェニックス」がJupiterとともに上がると、
涙があふれてくると話していた。
きっと、そういう思いの人がたくさんいると思う。
あまり、長い間いなかったけど、
冬にサイレンとともに、
長い間、花火が上がっていたのを観たことがある。
故人を思い普段から弔い花火をあげる風習があるらしいことを知ってからは、
何か複雑な気持ちになったのを思い出した。
| 固定リンク